澤穂希、引退試合で有終の美。今までの経歴や引退後について

雑記

27日の皇后杯決勝アルビレックス新潟レディース戦がありました。
その試合を最後に女子サッカー界のレジェンド、澤穂希選手が引退しました。
この試合、1-0でINAC神戸が勝利。

決勝点はやはりこの人、澤選手。

引退試合で決勝で決勝点。

持ってますねー。

イチロー以上ではないかというくらい持ってます。

まだまだできるんじゃないか?と思わせての引退…カッコイイです。

日本人でなでしこリーグの選手誰知ってると聞かれれば真っ先に出てくる
であろう澤選手ですが、実はあまりよく知らないという人多いんじゃないでしょうか。
(自分がそうだからそうなんじゃないかと決めつけている感ありますが)
気になったので引退した今更ですが調べたことをアウトプットしたいと思います。

出身や経歴について

・澤穂希_さわほまれ(1978年9月6日)

・東京都府中市出身
#東京都出身は何となく以外でした。
雰囲気と現在の所属チーム的にてっきり関西出身と思ってました。笑
でも初めて澤選手を知ったとこは日テレ・ベレーザでしたね。

・ポジションは主にMF

・サッカーを始めたきっかけは小学校2年生のときに兄と共に地元の
「府ロクサッカークラブ」に入団。

・中学校入学と同時に「読売サッカークラブ女子・ベレーザ」に入団。
#入団後、普通は下部組織のメニーナに所属し、実力が認められれば
トップチームに昇格となるが、澤選手はいきなりのトップチーム入りを
果たし、中学一年生の夏にはLリーグ(現在のなでしこリーグ)に出場して

3試合めには初ゴールを決めたそうです。
今で言ったら久保くんや中井くんがあと1,2年でJリーグでゴールを
決めるようなもんですよね!
女子と男子の発育の差はあるにしても信じられないですね。怪物ですわ!
・15歳の時には女子日本代表に選ばれる。

デビュー戦で4得点。
#もはややり過ぎです。笑

・1999年にはアメリカに渡り、コロラド・デンバー・ダイアモンズに所属に所属。
2000年にアトランタ・ビートに移籍。
#アメリカでもその実力を遺憾なく発揮し、「クイック・サワ」の愛称で
呼ばれていたそうな。

実はこの頃結婚を考えていたそうなんですが、アメリカ女子プロリーグが休止
となり帰国したそうなんです。
もしもこの時に結婚して家庭に入っていたら、その後の伝説は築けなかった
かもしれませんね…

・2004年にはLリーグヘプロ契約(日テレ・ベレーザ)で復帰。
2006年、2008年にはなでしこリーグのMVPを獲得。

・2009年、WPS(アメリカ女子プロリーグ)からドラフト指名を受け、
「ワシントン・フリーダム」へ移籍

・2011年、INAC神戸レオネッサへ移籍
同年、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会ではキャプテンとして出場。
  日本サッカー史上初のW杯優勝に大きく貢献。
得点王とMVPの二冠に輝いた。
#この年は東日本大震災があり、暗いニュースが続いていた中で、本当に
日本中に勇気を与えてくれましたよね。
その後は途中、「良性発作性頭位めまい症」とゆう病気で戦線離脱することも
ありましたが、下記のような数々の輝かしいタイトルを受賞しております。

・アジア人史上初の「FIFA最優秀選手賞」受賞者

・日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)

・日本女子代表では歴代トップの出場数とゴール数を記録

・AFC(アジアサッカー連盟)初代殿堂入り

・「FIFA女子ワールドカップ最多出場(6回)」の記録が、ギネス世界記録に認定
いやーホント凄い経歴ですね。
ちなみに2015年8月には元ベガルタ仙台DFの辻上裕章と入籍しております。

引退後は

一部報道で引退の理由は妊娠したからではないかと騒がれてましたが、どうなんでしょうか。
澤選手ほどの実力やカリスマ性があれば何をやっても成功しそうですけどね。

是非指導者をして日本女子サッカー界を更に盛り上げてほしいと願う気持ちもありますが、
まずはゆっくりと休んで、家庭も大事にしてほしいですね。

日本女子サッカー界にとってなくてはならない存在ですからね。

いずれ戻ってくると期待してます。

最後に

まずはお疲れさまでした。
また、多くの人に勇気と希望を与えていただき、ありがとうございました。

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